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コラム2

計算書類作成と会計処理の原点−イタリーのルカ・パチョーリに学ぶ


 近年の上場会社の粉飾決算で、一般の債権者や株主は多大な損害を受けた。山一證券の崩壊に始まり、ライブドア、カネボウ、日興証券などの粉飾決算の事例が大きく報道された。前回に述べた米国のリーマン・ブラザーズ、エンロン、ワールドコムなどの破綻は世界の経済を震撼させた。リーマンに至っては、住宅ローンに係る債権を分散するため、約40兆円を証券化し、欧米、アジアなどに流し、世界的な株式市場の暴落をもたらした。このような金融ビジネスに狂奔し、本来の業務を逸脱した行為も粉飾事件ともいえる。
 前回では、学校法人の資金運用のあり方について、寄附行為上の規定を遵守すべきと述べた。近年、マスコミに大きく報道された有価証券運用損失が問題化している。各大学別に30法人の損失リストをみているが(東洋経済新報社発行の「金融ビジネス」)、X大学の220億円の損失、同じくY大学の150億円の損失、Z大学の140億円の損失など枚挙にいとまないぐらいである。まさに学校法人の憲法たる寄附行為に違反すると言わざるを得ない。そのほか、同窓会、校友会、クラブ活動などの資金を教育研究、会員間の親睦や学生生徒の支援外に流用するケースもあり、粉飾決算に近いと考える。
 本来の会計は、正規の簿記の原則、明瞭性の原則に従うべきで、簿記の発生からその原点を探ってみたい。
 複式簿記は、一般にイタリーのルカ・パチョーリが1494年に「スンマ」と題する著作が初めてといわれ、わが国では福沢諭吉の「帳合之法」が1873、4年に刊行されたといわれている。本稿では、これらの会計の祖について言及してみる。

帳簿の初めに神の賛美と栄光を記す
 イタリー・ルネッサンスの隆盛期、イタリア半島のほぼ中央、アペニン山腹のサンセポルクロ市に1445年、ルカ・パチョーリ(LUCA PACIOLI)が生れた。15才から商家に住み込み、勤めのかたわら数学の才能が認められ、フィレンツェ、ローマで有名な建築家アルベルティ邸に起居し、論理学、哲学、神学、幾何、代数を勉学し、フィレンツェの学者から評価されるに至った。
 1472年、恩師のアルベルティの逝去によって神学に仕えることを決意。聖フランシスコ会修道院に入り、修道士、司祭の道を辿ることになる。また、数学等の博識も高く評価され、フィレンツェ、ローマ、ナポリの大学で数学、幾何を教授、その成果として畢生の名作「スンマ」(Summa de Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proporti-onalita)を1494年にヴェネチアで出版した。
 正式には「算術、幾何、比及び比例全書」といい、俗に「数学大全」ともいわれている。この書はかなりの量で、図を除き約6百ページに達する。そのうち、複式簿記については、第3部に仕訳から決算まで詳述している。
 12紀から13世紀までのヨーロッパでは、一航海や一旅商ごとに資金の収支決算をするのが主であった。しかし、商業の発展により組合制度(出資方式)が広まるにつれ、「一航海一決算」ではなく「期間損益計算」の必要性が生じてきた。スンマでは、組合会計や資本金概念を取り入れ、出資者に対する利益分配上、有効な手段であることは当然であると述べている。ルカ・パチョーリの「スンマ」は、各地で発達した簿記手法を体系的に集大成した第一歩であった。複式簿記は、損益計算書と貸借対照表の2面から経営の状態を判断できる利点が大である。その意味で、ルカ・パチョーリを“近代簿記の祖”として、現代において会計学者の研究のもとになっている。
 ルカ・パチョーリは、ミラノの宮廷や大学の講義を行い、多くの文化人と知り合う。とくにレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)と親交を深め、起居をともにすることも多かったが、ダ・ヴィンチに、ユークリッドの幾何原論など教えている。
 ダ・ヴィンチはパチョーリの影響を受け、絵画、彫刻などで世界的芸術家の名を残したことはご承知のとおりである。
 1497年、パチョーリはミラノで「ディヴィナ」(聖な均斉)を出版。ダ・ヴィンチが図や挿絵を担当した。15世紀のメディチ家のフィレンツェ支配から、16世紀の宗教改革などがイタリア・ルネッサンスの開花期と考えてよいと思う。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」(1498年、フィレンツェ・サンタマリヤ教会の壁画)の透視画的技法や、その後の「聖アンナと聖母子」(1506年・フィレンツェ)にみる円錐形画法及び多くの人体解剖図に、ユークリッドやパチョーリの影響をみることができる。その後、ミケランジェロ(一175〜1564年)が頭角を表わし、ダ・ヴィンチを強く意識し、有名な彫刻「ピエタ」(1498年・ローマ・サンピエトロ寺院)「ダヴィデ」(1501年〜4年・彫刻・フィレンツェ)が生れた。
 ルネッサンスの繁栄は、ドイツのグーテンベルグ(1397〜1468年)の可動式印刷機の発明も多大な寄与をしている。グーテンベルグは、当時で多額な資金(借金も多かった)を投入し、1438年鉛活字による印刷機を考案し、従来の木版印刷に革命をもたらした。その最初はローマ教会からの聖書印刷や免罰符の印刷が主であったが、学術書では「スンマ」が最初で最大である。その後、マルチン・ルター(ドイツ)の宗教改革、つまりカトリックに対する反乱で、プロテスタント派の徴候となる。
 パチョーリの簿記法は、日記帳、仕訳帳、財産目録を設け、日記帳を更新する場合、帳簿の第1ページに神聖なる十字架を付し、記帳することを説いた。さらに帳簿のバランス合計に「神の賛美と栄光のために」と記すことをすすめている。つまり、宇宙の秩序は、神に誓うことが前提であり、会計処理及びその結果たる財務書類は、適正、かつ、神聖なものでなくてはならないとしている。現在、公認会計士監査の倫理観が叫ばれているが、パチョーリの簿記の原点として計算書類の真実性を学ばなければならないと感じている。
パチョーリは、司祭のかたわら学者として名声があり、ローマ教皇レオネ十世の招聘でローマ神学大学(SAPIENZA)の教授を拝命、その後、サンセポルクロ修道院総長代理を務め1517年、72才で多才な人生を閉じた。
イタリアでは、1994年、パチョーリのスンマ出版5百年祭で多くの会計学者の集いを行い、同年、東京のイタリア大使館主催で、同じく5百年祭記念シンポジウムが開催された。私はその際、「ルネッサンスとパチョーリ」というテーマでパネラーの栄にあずかったことを感謝している。
 イタリア旅行を体験された方やこれからイタリアに行かれる希望の方は、本文が多少なりとも参考になれば幸いである。
 複式簿記は、ルカ・パチョーリ以前にも発表したイタリーのミラノのカタロニャ商会の元帳(1396年)、ヴェネチアのソランツォ兄弟商会の元帳(1906年〜1439年)ころなどがあり、フィレンツェ王国のメディチ家の財産目録にも色濃く残されている。

わが国の会計基準
 わが国の複式簿記導入の経緯は、明治6年(1873年)の英国人で明治政府が招聘したアラン・シャンドの「銀行簿記精法」であり、また、福沢諭吉の明治6、7年(1873、4年)刊行の「帳合之法」である。
 詳細は、黒沢清著「日本会計制度発展史」という名著がある。前記の著作刊行により明治6年に創立した第一国立銀行の帳簿体系と決算書作成の根拠を作った。
 福沢諭吉は、明治4年(1871年)に「学問のすすめ」を公表したが、全13巻に至るまで慶応義塾出版局から明治5年に公刊した。齋藤はその全13巻の初版を模写して所有しているが、本書の冒頭に「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という名言は、明治における民主主義の重要性を論じたものとして感銘している。この本の発刊部数は不明であるが、たちまちベストセラーになった。
 この書の面白い点は、印刷技術の進展に見ることができる。活版印刷の明治時代の進展を反映している。第1巻と第13巻では、印刷技術が大きく変化しているからである。
 現代では、企業のグローバル化に伴い国際会計基準に追いつく大変な変革を期待しているが、会計の原点を忘れてはならない。
 ルカ・パチョーリの述べたように、帳簿とこれにより作成される計算書類は、神聖なものであり、神に誓って誠実に作成されたものであるということを忘れてはならない。
(齋藤・私学経営21年1月号掲載)